かつて敗れていったツンデレ系サブヒロインに捧ぐ

(~‾⌣‾)~砂と波の間でこそ 僕達はつどいあい 幻の傷をなめあう 永遠に 博内和代『SEA SIDE SOUVENIR』~(‾⌣‾~)

『オゲハ』を読んだけど、最高の人外漫画でした。

5/6(金)23:59まで、『オゲハ』という漫画の1巻が無料で読めると聞いたので読んでみたのですが、最高の人外漫画だったので、感想を書いてみます。

 

オゲハ - 「COMIC it」公式サイト | “it”こそが今、読みたいもの。

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主人公は、両親と同居している男子中学生・木嶋智(通称キジ)。ある日、彼は自室の窓から双眼鏡で外を眺めていると、空を浮遊する謎の物体が近所の公園へ落下するのを目撃します。

落下物を探しに彼が公園へ向かうと、巨大な蛹の中に一人の異形の生物が入っていることに気がつきます。人間の上半身、蝶の羽根の両腕、ゴキブリのような下半身を持つ、グロテスクな見た目の人外の少女です。

彼は木の棒を蛹に突き刺し、まだ孵化していない少女を引きずり出すと、自宅へ連れて帰ります。

「アゲハ蝶の汚いヤツだから お前の名前はオゲハな」そう言って、彼は少女にオゲハと命名します。そして、自分のことをキジと呼ぶように伝えます。果たして、キジとオゲハの関係は、どうなってしまうのでしょうか…?

 

この漫画、読むととても不安な気分になるんですよ。私はてっきり、「人外の少女と人間の少年の、ほのぼのボーイミーツガール物」だと思って読んだんですが、全然違うんですね。

オゲハという人外の少女は、上半身が人間で、両腕と下半身が虫という二つの属性を持っています。主人公のキジから見たオゲハは、「人外の少女」ではなく、「虫」です。

だから、キジがオゲハと接する時に、少年が虫を飼う時のような残酷さを発揮します。「うえ〜きったね〜」と言いながらオゲハを家に連れて帰ったり、「面白い虫を捕まえたから」という理由で学校の友人を家に呼んでオゲハを見せびらかそうとしたり。オゲハと一緒に家出した時に、「お前、重いから」という理由で彼女を置き去りにしようとしたり。

そういう行動をする時のキジの表情は、目が笑っていなくて無表情に近いんですね。読者からすると、彼が何を考えているのかが、よく分からない。

反面、オゲハは人外のはずなのに、人間のキジよりも表情が豊かです。「勉強とかほんとあほくせーな。オレ早く死なないかな」と呟くキジに対して、「キジ、死ぬのやだ!」と言って大泣きしたり、キジと一緒のベッドで寝る時に、嬉しそうにえへへと笑ったり。

読者から見ると、無表情なキジよりも、表情豊かなアゲハの方に、感情移入してしまいます。キジはオゲハを虫として見ているのに、読者はオゲハを少女として見てしまう…オゲハに対してどのような属性を読み取るかの違いのせいで、読者はキジを、「無表情のまま人外の少女を虫として扱って飼育する、異常な人間」として見てしまうんですね。

オゲハには虫と少女の二つの属性があり、主人公のキジは虫として、読者は少女として捉えてしまう…そのギャップが、読んでて薄気味悪く感じてしまうんです。

 

あと、この作品は閉塞感が強くて、逃げ場が分からない。

オゲハが家から脱出して逃げようとすると、キジが脚を掴んで家に引きずり込んでしまう。オゲハはキジによって、家の中に監禁されてる状態です。

でも、キジはオゲハを人間ではなく虫と考えているから、彼女を飼育しているつもりなんです。もしかすると、キジがオゲハを飼育するのは、受験からの逃避の一種なのかもしれません。

キジは高校受験を控えているのに、度々、塾の授業をサボったり、家出をしたりします。それに対して、彼の母親は激怒して、怒鳴りながらキジを説教します。キジも受験のプレッシャーから逃れたいのに、サボりにしろ家出にしろ中途半端にしか反抗することが出来ず、今の状況から根本的に逃れることができません。

オゲハがキジに監禁されて家から脱出できない閉塞感と、中学生のキジが受験から逃げることができない閉塞感の両方が合わさって、この物語が一体どこに向かうのか、読んでて不安になるんですよね。圧力鍋でぐつぐつとシチューを煮込んでいて、蓋を開けるタイミングが分からずに、「いつか、圧力鍋は爆発してしまうんじゃないか…?」と妄想に耽ってしまう。そういう不安に近いです。

 

オゲハは幼いので、蛹の中にいた自分がキジに捕まり、家へ連れていかれたことをあまり覚えていません。それどころか、オゲハを外に逃がしたくないキジがついた、「外には悪い人間がいて、キジは悪い人間からオゲハを守っている良い人間だ」という嘘を信じてしまい、キジに懐いています。

2巻のラストで、オゲハと同種の2匹の芋虫が彼女を見つけ、外の世界へ連れだそうとした際に、彼女はキジが良い人間ではなく誘拐犯だったことを思い出します。この後、物語がどんな展開になるのか、本当に不安なんですよね。

芋虫の言葉を信じる限り、オゲハは人間を食べることができます。また、彼女自身も人間を殺す能力があるようです。

オゲハはキジを殺そうとするのか、それとも殺せないのか。キジはオゲハを虫と扱っているけど、二人の関係に変化が出てくるのか。そして、オゲハ達は何が目的で地球へやってきたのか。この後の展開がどう進んでも、後味の悪い展開になるだろうという予感が膨らんで、ぞくぞくします。

 

僕がこの漫画で一番好きなのは、人外を人外として描いている点ですね。

異なる性質を持つ人間と人外が共存する場合、互いの差異を把握した上で不愉快にならないように、お互いに気を遣う必要があります。人外の少女からすると、自分が人外であることは普通のことだし、人外という属性とは別に個性があります。それは私達にとって、自分が人間であることが普通で、人間という属性とは別に個性があることと同じです。自分を人外としてではなく、個性を持つ存在として扱ってくれる相手でなければ、お互いに良い関係を保つことができないでしょう。

だから、人間と人外の関係を描いた作品は、人外を現実の社会にいるマイノリティのメタファーとして扱いやすいと思うんですよね。その上で、現実のマジョリティとマイノリティとの関係を、人間と人外の関係を通して描くこともできる。

でも、フィクションに出てくる人外と現実のマイノリティは別個の存在です。わざわざ、マイノリティのメタファーとして人外を描かなくても、直接、マイノリティを作品の中で描くこともできると思うんですよね。

その点、オゲハは、虫と少女が合わさった人外であり、現実にはそのような生物はいません。虫と少女という二つの属性を持つが故に、キジは彼女を虫として扱おうとするし、読者は彼女を少女として見てしまう。人外であることが、キジとオゲハの関係に密接に絡まっていて必然性がある点が、すごく好きですね。

 

というわけで、『オゲハ』は人外漫画として、すごくオススメです。

みんな、『オゲハ』を読んで、不安な気持ちになろう!

『心が叫びたがってるんだ。』感想・視聴二回目

『心が叫びたがってるんだ。』二回目を観てきました…つらい…つらい。完全にネタバレの小文なので、注意です。

 

 初見の時の僕は、この作品のどの登場人物の立場にも立たず、観客としての視点から作品を観ていました。その結果、「おとなしい文化系女子が野球部員に告白される」という衝撃的なラストの印象ばかりが脳裏に焼き付くことになったのです。

・一回目視聴の感想

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 二回目の視聴の際は少し余裕があったので、玉子によってお喋りが出来ないように呪われた少女・成瀬順に近い立場で観たと思います。それで感じたんですが…成瀬が王子様と感じていた音楽青年の坂上の言動、酷すぎじゃないですか…。

 坂上は、お喋りができない成瀬がミュージカルを頑張る姿やお腹を痛めながら本音で叫ぶ姿を見て、彼女を応援したくなります。でも、彼が成瀬に感じているのは、応援したいという気持ちだけで、恋愛感情を持っているわけではありません。彼が恋愛の意味で好意を抱いているのは、中学時代の元カノの仁藤です。

 成瀬はミュージカルの曲を坂上につけてもらう過程で、彼に恋心を抱くようになります。でも、それは成瀬だけの勘違いが原因なんじゃない。坂上が好意を持っている仁藤もまた、彼からの好意にミュージカル前日になるまで気づかず、坂上は成瀬を好きだと勘違いし続けます。坂上の本音が周囲に分かりにくいのです。

「仁藤とまたこういう風に(親しく)話せるようになったのも、成瀬のおかげかもな…」とか、初見時は全く気づかなかったけど、本当に最低の台詞ですよ…。成瀬が完全に、仁藤と仲良くするための道具として使われてるじゃないですか。お城の形をしたラブホテルに閉じこもる成瀬を迎えに行った時に、「みんなが待ってるんだ!」と執拗に言うとかさ…。そこは「俺が待ってる」と言ってあげなよ!成瀬視点では、王子様だろ!

 

 でも、成瀬は坂上が自分を恋愛の意味で好んでおらず、単に応援しているだけだと知っても、それでも彼が好きだし、許してしまってると思うんですよね。お城のホテルの中で本音で坂上を罵倒し続けるシーンの末、罵倒の言葉がもう出て来なくなったから。

 作品の中で成瀬が坂上を罵倒しつくし、もう言葉が出て来なくなると、作品の外の観客に過ぎない僕としても、これ以上、坂上を罵倒できないんですよね。結局は、成瀬と坂上の問題だから。そこが切ないなと思いました。

 

 あと、野球部員の田崎も、初見時は成瀬への告白フラグが見えていないように感じて、ラストの告白に衝撃を受けましたが、二回目は彼こそが成瀬に相応しいなと思いました。

 恐らく、音楽室で田崎が成瀬に謝罪し、ミュージカルを手伝いたいと申し出た時、成瀬の歓喜を爆発させた表情を見て、好きになってしまったんだと思います。学校の帰り道、田崎が成瀬と一緒に帰りたいから電車に乗らず、「俺と一緒にいるの、嫌か?」と気遣うシーンも良かった…。あと、ミュージカル当日に成瀬が行方不明になった際に、坂上に成瀬を探してこいと鼓舞するシーンは切ないですよ…。あれは成瀬にとっての王子様は、自分ではなく坂上だと知った上で、迎えに行かせてるわけじゃないですか。

 映画前半では、田崎は肘のケガのせいで苛立ちと捻くれを爆発させていますが、本当はいかつい見た目以上に繊細で気配りのできる人間なんだと思います。

 

 初見と二回目では、それぞれ観客と成瀬の立場でこの作品を見ましたが、坂上や仁藤や田崎の立場で見返してみると、また新たな発見があるのかもしれません。そういう意味で、複数回の視聴に耐えうる、青春アニメの傑作だと思います。

 

『心が叫びたがってるんだ。』感想

『心が叫びたがってるんだ。』を観ました…観ました。あまりにラストが辛くて、僕の心が叫びたがったので、記事に残しておきます…。

 

 山の上にあるお城の形をしたラブホテルを、本当のお城だと思い込み、王子様が自分を迎えに来てくれる妄想に耽り、喋ることを止められない少女・成瀬順。彼女は、お城から父親と知らない女性が出てきた光景を母親に話すことで、家族の絆が壊れる後押しをしてしまいます。当時、小学生だった彼女にとって、父親がお城から知らない女性と出てくる光景が何を意味するのか、理解できません。

「そのことは、誰にも喋っちゃダメ…」お弁当を作っていた母親が、彼女を黙らせるために口に卵焼きを押し込むと、そこから彼女は妄想を発展させます。

 彼女は自分のお喋りが他人を傷つけてしまうことを恐れ、玉子という空想の存在を作り出し、玉子によって自分の口にチャックを締めてしまう…お喋りするとお腹が痛くなってしまう呪いを自らにかけてしまいます。

 

 月日は流れ、少女は小学生から高校生になりました。彼女は、他人とお喋りが出来ず、携帯メールでしかコミュニケーションを取れない風変わりな子として扱われています。

 ある日、彼女は担任によって、「地域ふれあい交流会」の実行委員に選ばれます。「地域ふれあい交流会」は、地元住民を学校の体育館に集め、出し物を行う地域と学校の交流イベントです。

「そんなの、イヤです!」表舞台に出ることを厭う成瀬順と共に、今まで交流の薄かった三人が実行委員として選ばれます。

 音楽好きな父親の影響で音楽を始めたが、普段は寡黙で本音を言わない坂上拓実。

 チアリーダー部部長かつクラスの中心人物であり、坂上への恋心を持つ仁藤菜月。

 肘を痛めて甲子園の夢を断たれ、苛立ちと捻くれを隠せない野球部員・田崎大樹。

 

 成瀬順は、彼等彼女等と共に「地域ふれあい交流会」の出し物として、ミュージカルの準備をします。幼少期に思い描いていた、「夢みがちな少女、少女が喋れないように呪いをかける玉子…そして、少女を迎えに来る王子」の妄想を元に、成瀬はミュージカルのストーリーを担当します。成瀬は夢みがちな少女、坂上は少女を迎える王子、田崎は少女に呪いをかける玉子を演じます。

 果たして、お喋りによって人を傷つけることを恐れ、自らに喋れない呪いをかけた少女は、呪いを解いて再び叫ぶことが出来るのでしょうか…?

 

 もうね、本当に成瀬順が可愛いんですよ。目に髪がかかりそうな程度のショートカットでいつも俯きがちで、お喋りできないのに表情豊かで何を考えているのかが分かりやすく、常にタイツを身につけた心に傷のある空想気味な少女…文化系のオタクにとって、理想に近い少女だと思います。

 成瀬は言葉で他人とコミュニケーションを取ることが出来ないのですが、その弱点を補うかのように、表情と行動が豊かです。嬉しいことがあると全力で喜び、悲しいことがあると走り出す…その様子を見ていると小動物みたいで飽きません。

 

 ここまでのあらすじを読んだ人の大多数は、「王子を演じた坂上と、夢見がちな少女を演じた成瀬」が苦悩や葛藤を乗り越えて結ばれるラストを想像していたと思います。もしも、この二人が結ばれていたら、僕はここまで『心が叫びたがってるんだ。』という作品を観て、動揺することはありませんでした。

 王子を演じた坂上は、夢見がちな少女を演じた成瀬と同じく、両親の離婚を経験しており、他人に本音を言うことを恐れていました。成瀬を始め、クラスメイト達とミュージカルの準備を続けるうちに、次第に成長し、成瀬の本音を受け止める重要な役割を引き受けます。成瀬の妄想通りにこの二人が結ばれたとしても、共依存的な関係の後、居心地の良い距離感を作り出すと思います。

 きっと、二人が大学生になった後は2Kのアパートに同棲して、東急ハンズで買ってきたお揃いのマグカップにコーヒーを淹れて、雨の日の夕方に背中合わせに飲んで、ホッとしながら、「今日…お外に出なかったね…」「うん…」と会話しているに決まっています!

 ところが、この映画のラストはそうならなかったのです。

 

 最終的に、坂上は成瀬の告白を断り、中学時代の元カノだった仁藤に想いを寄せます。そして、何故か、大したフラグも立っていなかった野球部員の田崎が成瀬に想いを寄せ、彼女に告白する大団円を迎えます。きっと、成瀬の反応を見る限り、野球部員に対して悪い感情は持っていません。そして、二人は結ばれるのでしょう…。

 何で、野球部員が文化系の理想の少女に告白してるんだよ!!!!!!

 

 だって、成瀬順のキャラクターも造形も、植芝理一の漫画に出てきそうじゃないですか。『ディスコミュニケーション』学園編で、「自らのお喋りによって他人を傷つけることを恐れ、玉子によって口を封じられた少女」として登場し、松笛君がハンプティ・ダンプティや世界卵などと悩みを絡め、呪術的なハンマーで玉子を割り、眼鏡をかけた男の子と結ばれたりしそうじゃないですか…。

 

 文化系のオタクである自分が成瀬を可愛いと思えば思うほど、ラストの野球部員の告白に動揺し、野球部員を憎んでしまう…正直なところ、そういう気持ちが自分の中にあります。

 何故、野球部員の告白にここまで動揺してしまうのかというと、自分でも気がつかないうちに、「文化系」と「体育会系」の間に濃い境界線を引き、お互いに交流しないものと見なしているからです。

 高校を卒業して大学に入学すると、ごった煮のクラスというコミュニティではなく、専門的なサークルやゼミというコミュニティを基本として行動し始めます。文化系の人間は文学研究会や映画研究会、演劇研究会などのサークルに入ったり、同じ趣味を持つ人間同士で集まったりすることで、自分達とは異質な人間との交流の機会を失います。

 高校時代にはあれほど近い距離で接していたはずの野球部員やサッカー部員などの体育会系との細かいエピソードを忘れ、「おーい、鈴木〜。休み時間にラノベ読んでるのかよ〜www」「うわ、コイツ、セーラームーンの下敷き持ってるよwww」と揶揄された記憶のみが蒸留して、海馬に染み込んでしまうのです。

 だから、野球部員が大人しくて可愛い文化系少女と結ばれる展開に対し、三次元の巨人が二次元の壁を乗り越えてきたかのような印象を持ってしまいます。私にとっての二次元は、体育会系から隔絶した文化系の妄想の壁の中にあるのです。

 けれども、本当に高校時代に、文化系と体育会系の間に強固な境界線があったのでしょうか?

 自分の記憶を思い出してみると、二人称が「キミ」でポニーテールの吹奏楽部の女の子がサッカー部の男の子と付き合っていたり、休み時間に村上春樹の小説を読むか机に伏していた女の子が水泳部の男の子と付き合っていた気がします(すみません。あまり思い出したくなかったかもしれません)

 僕も、数学が得意な野球部員に対して「lainというアニメが面白いんだよ!」という話をしたり、青春パンクが好きなサッカー部員とCDの貸し借りなどをしていました。大学以降と比べ、高校時代はあらゆる境界線が曖昧で、異なる趣味や階層の人達が交流していたように思います。そして、境界線が曖昧な状態こそが、成熟していない青春その物ではなかったか、と。

 

 僕は、『心が叫びたがってるんだ。』という作品を見て、ラストの展開に動揺しましたが、同時に「青春って、こういう闇鍋みたいな状態だったかも」という過去を懐かしむ印象も持ちました。そういう意味で、単に高校時代に自分がしたかった女の子との恋愛成就を描いた作品よりも、良くも悪くも青春を味わえたと思います。

 

 この作品には、二次元と三次元が内包されています。

 成瀬順がミュージカルのストーリーとして創りだした、夢見がちな少女が王子様に救われる二次元。そして、夢見がちな少女は王子様に振られ、何故か呪いをかけたはずの玉子の役の野球部員と付き合う三次元。

 成瀬順という少女が魅力的だからこそ二次元の青春を望み、裏切られる。野球部員と大人しい文化系少女が付き合うことで、観客の心が叫びたがってる。

 こういうラストの青春映画はあまり観たことがないので、公開中にあと数回見て、動揺し続けたいと思います。大人になると感性が摩耗して、リアルでもフィクションでも動揺しなくなるので…。

 

(映画鑑賞後は混乱していましたが、ブログに記事を書いていると落ち着いてきました)