かつて敗れていったツンデレ系サブヒロインに捧ぐ

(~‾⌣‾)~砂と波の間でこそ 僕達はつどいあい 幻の傷をなめあう 永遠に 博内和代『SEA SIDE SOUVENIR』~(‾⌣‾~)

『心が叫びたがってるんだ。』感想

『心が叫びたがってるんだ。』を観ました…観ました。あまりにラストが辛くて、僕の心が叫びたがったので、記事に残しておきます…。

 

 山の上にあるお城の形をしたラブホテルを、本当のお城だと思い込み、王子様が自分を迎えに来てくれる妄想に耽り、喋ることを止められない少女・成瀬順。彼女は、お城から父親と知らない女性が出てきた光景を母親に話すことで、家族の絆が壊れる後押しをしてしまいます。当時、小学生だった彼女にとって、父親がお城から知らない女性と出てくる光景が何を意味するのか、理解できません。

「そのことは、誰にも喋っちゃダメ…」お弁当を作っていた母親が、彼女を黙らせるために口に卵焼きを押し込むと、そこから彼女は妄想を発展させます。

 彼女は自分のお喋りが他人を傷つけてしまうことを恐れ、玉子という空想の存在を作り出し、玉子によって自分の口にチャックを締めてしまう…お喋りするとお腹が痛くなってしまう呪いを自らにかけてしまいます。

 

 月日は流れ、少女は小学生から高校生になりました。彼女は、他人とお喋りが出来ず、携帯メールでしかコミュニケーションを取れない風変わりな子として扱われています。

 ある日、彼女は担任によって、「地域ふれあい交流会」の実行委員に選ばれます。「地域ふれあい交流会」は、地元住民を学校の体育館に集め、出し物を行う地域と学校の交流イベントです。

「そんなの、イヤです!」表舞台に出ることを厭う成瀬順と共に、今まで交流の薄かった三人が実行委員として選ばれます。

 音楽好きな父親の影響で音楽を始めたが、普段は寡黙で本音を言わない坂上拓実。

 チアリーダー部部長かつクラスの中心人物であり、坂上への恋心を持つ仁藤菜月。

 肘を痛めて甲子園の夢を断たれ、苛立ちと捻くれを隠せない野球部員・田崎大樹。

 

 成瀬順は、彼等彼女等と共に「地域ふれあい交流会」の出し物として、ミュージカルの準備をします。幼少期に思い描いていた、「夢みがちな少女、少女が喋れないように呪いをかける玉子…そして、少女を迎えに来る王子」の妄想を元に、成瀬はミュージカルのストーリーを担当します。成瀬は夢みがちな少女、坂上は少女を迎える王子、田崎は少女に呪いをかける玉子を演じます。

 果たして、お喋りによって人を傷つけることを恐れ、自らに喋れない呪いをかけた少女は、呪いを解いて再び叫ぶことが出来るのでしょうか…?

 

 もうね、本当に成瀬順が可愛いんですよ。目に髪がかかりそうな程度のショートカットでいつも俯きがちで、お喋りできないのに表情豊かで何を考えているのかが分かりやすく、常にタイツを身につけた心に傷のある空想気味な少女…文化系のオタクにとって、理想に近い少女だと思います。

 成瀬は言葉で他人とコミュニケーションを取ることが出来ないのですが、その弱点を補うかのように、表情と行動が豊かです。嬉しいことがあると全力で喜び、悲しいことがあると走り出す…その様子を見ていると小動物みたいで飽きません。

 

 ここまでのあらすじを読んだ人の大多数は、「王子を演じた坂上と、夢見がちな少女を演じた成瀬」が苦悩や葛藤を乗り越えて結ばれるラストを想像していたと思います。もしも、この二人が結ばれていたら、僕はここまで『心が叫びたがってるんだ。』という作品を観て、動揺することはありませんでした。

 王子を演じた坂上は、夢見がちな少女を演じた成瀬と同じく、両親の離婚を経験しており、他人に本音を言うことを恐れていました。成瀬を始め、クラスメイト達とミュージカルの準備を続けるうちに、次第に成長し、成瀬の本音を受け止める重要な役割を引き受けます。成瀬の妄想通りにこの二人が結ばれたとしても、共依存的な関係の後、居心地の良い距離感を作り出すと思います。

 きっと、二人が大学生になった後は2Kのアパートに同棲して、東急ハンズで買ってきたお揃いのマグカップにコーヒーを淹れて、雨の日の夕方に背中合わせに飲んで、ホッとしながら、「今日…お外に出なかったね…」「うん…」と会話しているに決まっています!

 ところが、この映画のラストはそうならなかったのです。

 

 最終的に、坂上は成瀬の告白を断り、中学時代の元カノだった仁藤に想いを寄せます。そして、何故か、大したフラグも立っていなかった野球部員の田崎が成瀬に想いを寄せ、彼女に告白する大団円を迎えます。きっと、成瀬の反応を見る限り、野球部員に対して悪い感情は持っていません。そして、二人は結ばれるのでしょう…。

 何で、野球部員が文化系の理想の少女に告白してるんだよ!!!!!!

 

 だって、成瀬順のキャラクターも造形も、植芝理一の漫画に出てきそうじゃないですか。『ディスコミュニケーション』学園編で、「自らのお喋りによって他人を傷つけることを恐れ、玉子によって口を封じられた少女」として登場し、松笛君がハンプティ・ダンプティや世界卵などと悩みを絡め、呪術的なハンマーで玉子を割り、眼鏡をかけた男の子と結ばれたりしそうじゃないですか…。

 

 文化系のオタクである自分が成瀬を可愛いと思えば思うほど、ラストの野球部員の告白に動揺し、野球部員を憎んでしまう…正直なところ、そういう気持ちが自分の中にあります。

 何故、野球部員の告白にここまで動揺してしまうのかというと、自分でも気がつかないうちに、「文化系」と「体育会系」の間に濃い境界線を引き、お互いに交流しないものと見なしているからです。

 高校を卒業して大学に入学すると、ごった煮のクラスというコミュニティではなく、専門的なサークルやゼミというコミュニティを基本として行動し始めます。文化系の人間は文学研究会や映画研究会、演劇研究会などのサークルに入ったり、同じ趣味を持つ人間同士で集まったりすることで、自分達とは異質な人間との交流の機会を失います。

 高校時代にはあれほど近い距離で接していたはずの野球部員やサッカー部員などの体育会系との細かいエピソードを忘れ、「おーい、鈴木〜。休み時間にラノベ読んでるのかよ〜www」「うわ、コイツ、セーラームーンの下敷き持ってるよwww」と揶揄された記憶のみが蒸留して、海馬に染み込んでしまうのです。

 だから、野球部員が大人しくて可愛い文化系少女と結ばれる展開に対し、三次元の巨人が二次元の壁を乗り越えてきたかのような印象を持ってしまいます。私にとっての二次元は、体育会系から隔絶した文化系の妄想の壁の中にあるのです。

 けれども、本当に高校時代に、文化系と体育会系の間に強固な境界線があったのでしょうか?

 自分の記憶を思い出してみると、二人称が「キミ」でポニーテールの吹奏楽部の女の子がサッカー部の男の子と付き合っていたり、休み時間に村上春樹の小説を読むか机に伏していた女の子が水泳部の男の子と付き合っていた気がします(すみません。あまり思い出したくなかったかもしれません)

 僕も、数学が得意な野球部員に対して「lainというアニメが面白いんだよ!」という話をしたり、青春パンクが好きなサッカー部員とCDの貸し借りなどをしていました。大学以降と比べ、高校時代はあらゆる境界線が曖昧で、異なる趣味や階層の人達が交流していたように思います。そして、境界線が曖昧な状態こそが、成熟していない青春その物ではなかったか、と。

 

 僕は、『心が叫びたがってるんだ。』という作品を見て、ラストの展開に動揺しましたが、同時に「青春って、こういう闇鍋みたいな状態だったかも」という過去を懐かしむ印象も持ちました。そういう意味で、単に高校時代に自分がしたかった女の子との恋愛成就を描いた作品よりも、良くも悪くも青春を味わえたと思います。

 

 この作品には、二次元と三次元が内包されています。

 成瀬順がミュージカルのストーリーとして創りだした、夢見がちな少女が王子様に救われる二次元。そして、夢見がちな少女は王子様に振られ、何故か呪いをかけたはずの玉子の役の野球部員と付き合う三次元。

 成瀬順という少女が魅力的だからこそ二次元の青春を望み、裏切られる。野球部員と大人しい文化系少女が付き合うことで、観客の心が叫びたがってる。

 こういうラストの青春映画はあまり観たことがないので、公開中にあと数回見て、動揺し続けたいと思います。大人になると感性が摩耗して、リアルでもフィクションでも動揺しなくなるので…。

 

(映画鑑賞後は混乱していましたが、ブログに記事を書いていると落ち着いてきました)